先週、ブログに紳助のことを書いていて、
越前屋俵太を思い出した
初めて見たのは『紳助のテレビジャック』
アントンボラージュのジャンプスーツを着て、髭を蓄え、関大の現役生だったか、留年して何年生なのかもよくわからないような学生
その得体の知れなさが、強烈なインパクトだった
街で素人をいじる「俵太の大きなお世話」のコーナーに夢中になった
放送の翌日に学校へ行くと、だいたいその話題になっていた
まだ全員が同じ番組を見ていた時代である
自分は俵太に笑わされたというより、惹かれていたのだと思う
おしゃれで、胡散臭くて、予測不能
ああいう感じに、昔から弱い
その憧れの俵太が運営に携わっていたのが、学生ツアーだった
所属していたのは、しろくまツアー(ホワイトベアー)
学生ツアーの元祖的な存在で、当時の大阪では一般の人にまで知られた名前だった
80年代前半から勃興し始めた学生ツアー
学生サークルから発展してサークルの長が在学中に社長になったり、今でいう学生ベンチャー
学生の学生による学生のための旅行会社
大学の入学式が終わり、教室でツレと二人、ボケーっとしていた時だった
一つ上の先輩が3人近づいてきて、後ろから肩を叩かれこう言われた
「自分、いい感じやなぁ。タダで沖縄行って、ハメ外せる仕事あるで」
「はい! やります!」
二つ返事で加入が決まった
翌週、事務所に行くと声をかけてきた先輩3人のうち2人はすでに辞めていた笑
いい加減な組織の匂いがプンプンしたが
あの時の自分には、その誘い文句が抗いがたいほど魅力的だった
俵太への憧れもあったし、胡散臭くて、危うくて、閉じていた世界が開いていくような期待感、すでに心は動いていた
いま思えば、あそこから転落人生が始まったのかもしれない笑
いやいや、あの体験がなかったら、今の自分は絶対にない
2回言う、絶対にない
逆境への耐性は、確実にあの時に養われた
無難な道を歩かなかったからこそ、見えた景色がある
あの脱線した入口が、結果として今の自分につながっている
そう考えると、越前屋俵太は、人生を横道へずらした、最初のロールモデルだったのかもしれない

