2026.04.02

たぬき屋

一昨日、飼い猫が天に召された
そのことがあって、ふと思い出した人がいる
子どもの頃、家の近所にあった駄菓子屋「たぬき屋」のおばちゃんである

正式な店名は豊文堂
でも、店先に大きな木彫りのたぬきが置いてあったので、近所の子どもたちはみんな「たぬき屋」と呼んでいた
大阪市城東区野江
榎並小学校の帰り道にある、その小さな店は、駄菓子から文房具まで何でも揃う、子どもたちにとって欠かせない場所だった

自分もよく通った
その日もらった小遣いを、ほとんどそのまま使い果たすような子どもだった
とはいえ、50円とか100円の世界である
仮に100人来ても大した売上にはならない
今思えば、ああいう店は商売というより、ほとんど地域の子供の面倒を見るために開いていたようなものだったのかもしれない

店をやっていたおばちゃんは、本当にやさしい人だった
小学校で担任の先生は2年に一回変わる
でも、たぬき屋のおばちゃんはずっと変わらない
6年間、放課後だけの担任みたいな存在だった

実際、毎年の卒業式には、父兄にまじって一番後ろに座り、子どもたちの成長した姿を見ていた
そういう人だった

そのおばちゃんは、自分の飼い猫が亡くなった時に、一か月寝込んで店を閉めたという話を聞いたことがある
今なら気持ちがよくわかる
家族だったのだ

中学生になると、自然とたぬき屋には行かなくなる
たまに店の前を通ると、おばちゃんは必ず声をかけてくれたが、年齢とともに、店の前を通らない生活になっていく
思春期を過ぎる頃には、たぬき屋も、おばちゃんのことも、記憶の深いところにしまい込まれていった

今から30年くらい前、平日の昼間に久しぶりに車で店の前を通った
シャッターが下りていた
開いていれば、そのまま通り過ぎていたと思う
その日はなぜか気になった
臨時休業かなと思い、車をバックさせて店の前まで戻った

張り紙があった

「たぬきのおばあちゃんは、天国に行きました。おばあちゃんはいつも皆の事を気にしていましたよ。これからも皆の事を天国から見てますよ。それでは、また会う日まで」

それを読んだ瞬間、涙が込み上げてきた

当時乗っていたベンツを店の前に横付けして、窓から顔だけ出したまま涙ぐんでいたので、近所の人には変な目で見られていたと思う
でも、そんなことはどうでもよかった
あの頃の記憶が一気に戻ってきた
お年玉を全部突っ込んでも当たりが出ずに、半泣きになっていたら、おばちゃんが当たりくじをくれたこと
子供ながらに悩んで落ち込んでいた時におばちゃんがかけてくれた一言で救われたこと

一昨日、猫を見送って、そのおばちゃんのことを思い出した
猫は、ただそこにいるだけで、家の空気そのものになる
だからいなくなると、ひとつの命が消えたというだけではなく、その家の時間が止まる

たぬき屋のおばちゃんも、きっとそうだったのだろう
動物や子供への愛情が人より深い
子供たちに注いでいた無償の愛情も頷ける

今でも、ああいう店は街にあるのだろうか
子どもが安心して立ち寄れて、買い物以上のものをもらって帰るような場所
売上や効率などの概念が存在しない子どもたちのオアシスみたいな場所

春といえば、少し小遣いが上がって、たぬき屋でいつもより贅沢をしていたことも思い出す
大切な思い出である

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