2026.04.16

人新世のブランド論

『文藝春秋』2023年8月号に掲載された、藤原ヒロシと斎藤幸平の対談が面白かった

もはや一つの肩書きでは説明できないクリエイターの藤原ヒロシ(以下HF)
一方は、マルクス研究を軸に現代左派を代表する論客、斎藤幸平
普通に考えれば、あまり交わらなそうな二人である
だからこそ、この対談は興味深かった

とはいえ、HFの出自にはパンクがある
既存の価値観や秩序への違和感という意味では、斎藤氏の思想とも、源流のどこかでは通じている

ただ、現在の立ち位置は大きく違う

HFは言うまでもなくブランドの人だ
しかも、資本主義の象徴のようなハイブランドとも数多く協業してきた
一方で斎藤氏は、脱成長やエシカルな生き方を提唱する
大量生産、大量消費を前提とするブランドビジネスとは、真逆の位置にいる

ブランドは、人間の欲望を巧みに刺激する
他人とは違うものを持ちたい
高価なものを手に入れたい
新しいものを身につけたい
希少なものに惹かれる

その先にあるのは、モテたい、良く見られたい、特別でありたい、そういう気持ちである

そこをくすぐるように、ブランドは次々に新作を出し、購買欲を煽る

だとすれば、脱成長の思想は、その循環にブレーキをかけるもの
新作は減り、消費の速度は鈍り、ファッションもライフスタイルも、同質化していく

そう考えると、斎藤氏の思想とブランドビジネスは、どうしても緊張関係にある

でも、話はそんなに単純ではない

斎藤氏自身も、思想は正しいだけでは広がらないことを、よくわかっている
どれだけ倫理的で理論的に筋が通っていても、それが「ちょっと格好いい」と思われなければ、多くの人のところまでは届かない

思想にもファッション性が必要な時代が来ている

一方のHFは、明確な持論を前面には出さない
もちろん本人の中には考えがあるのだろうが、それを声高に語るタイプではない
終始、少しスカしているようにも見えるし、あまり論争の渦中には入りたくない人にも見える

けれど、そこにこそHFの強さがあるのではないかと思う

何かを断定しすぎない
立場を固定しすぎない
オーディエンスに次を読ませない

それが、HFが長く廃れない理由なのだろう

いつも時代と少し距離を取りながら、しかし完全には離れず、気づけば新しい驚きを用意している
思想家のように世界を説明するわけではない
でも、世界の気分を先回りして見せてくれる

その身振り自体が、すでに一つのブランドになっている

人新世の時代に、ブランドはどうあるべきか
欲望を刺激し続けるだけでは、もう持たないのかもしれない
かといって、欲望を手放した世界は、あまりにも味気ない

そのあいだで人は揺れている

藤原ヒロシと斎藤幸平の対談は、まさにその揺れを映していた
資本主義の最前線にいるような男と、その限界を批判する思想家
その二人が対話として成立してしまうところに、今の時代の複雑さがある

ちなみに、私がHFの仕事でいちばん好きなのは、UAのデビューシングルHORIZONのプロデュースである
ブランドやコラボの人として語られがちなHFだが、あの仕事には彼の本質がよく出ている
才能の輪郭を見抜き、さらっと世に出す
HFとは、そういう編集者なのだ

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