ケビン・コスナー監督・主演の
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』
繰り返し、繰り返し観ている
初めて観た時から、強く印象に残っている映画だった
舞台はアメリカ西部
時代は南北戦争時代
この映画は、いわゆる西部劇とはまったく違う視点で描かれている
多くの西部劇では、白人側の視点から物語が進む
開拓する者、文明を広げる者、
そして、その前に立ちはだかる先住民
この映画は違う
むしろ、文明と呼ばれていた側の暴力や傲慢さを、浮かび上がらせていく
そして、野蛮と呼ばれていた側にこそ、誇りや知恵や人間らしさがあったことを描いていく
西部劇でありながら、西部劇とは真逆の視点で作られた映画だった
ジェームズ・キャメロン監督の『アバター』も、この映画から大きなヒントを得ていると思う
外の世界からやってきた男が、異なる文化を持つ共同体に入り、その価値観に触れ、やがて自分がどちら側の人間なのかを問い始める
構造は近い
ケビン・コスナーは、この頃まさに全盛期だった
主演としても美しいし、監督としても堂々としている
若さと自信とロマンが、画面全体に満ちている
主役のダンバーは、はじめは北軍の中尉である
南北戦争という巨大な歴史の中で、軍服を着て、階級を持ち、命令に従う側にいた男だった
しかし、辺境の砦で一人になり、スー族と出会い、狼と出会い、少しずつ世界の見え方が変わっていく
スー族との出会いの当初、ダンバーに対して威嚇的だった男がいる
“風になびく髪”と呼ばれている男
最初は警戒心をむき出しにしている
しかし、その関係が少しずつ変わっていく
印象的なのは、ダンバーが「風になびく髪」にコーヒーと砂糖を渡す場面だ
恐る恐る口にして味わう
それまで固かった顔が、ふっと緩む
思わず笑顔がこぼれる
ただ、うまいものを口にした時の顔である
そこから、二人の距離は徐々に縮まっていく
そういえば、外国人労働者の雇用に詳しい人から聞いた話がある
アジア系の外国人にカニクリームコロッケを振る舞うと、表情が変わるらしい
とても喜ばれるという
やはり、文化交流は食文化から始まるのか笑
ダンバーがスー族に迎えられ、敵対する部族との戦いに勝利する場面がある
そこで彼は、今まで味わったことのない感覚を覚える
自分たちが食べるだけの狩りをする
一冬を越せるだけの食料を蓄える
違う部族から家族を守る
それは、征服でも侵略でもない
生きるために必要なことを、必要なだけ行う
自分たちの共同体を守る
自然の恵みに感謝し、仲間と分かち合い、次の季節へ備える
そこには、過剰な欲望がない
誰かを支配しようという思想もない
その中に身を置いた時、ダンバーは初めて、自分が本当に生きているような充実感を覚える
誰かに命じられた役割ではない
制度から与えられた肩書きでもない
自分の身体で働き、自分の目で見て、自分の心で選び取った生の実感だった
「俺は誰だ。何者だ。」
そのシーンが、初見の時からずっと心に残っている
自分は、何を信じて生きるのか
どこに属するのか
誰と共に生きるのか
そして、自分は本当は何者なのか
文明の側にいた男が、文明の外側でプリミティブに生きる人々の中に、人間としての尊厳を見つける
そして、その中で、自分自身を見つけていく
映画の終盤、ダンバーがスー族のために、自ら集落を去る場面
去ることを知って怒って拗ねていた”風になびく髪”が岩山の上に現れ叫ぶ
「俺はあんたの友達だ!」
「いつまでも、あんたの友達だ!」
何度も叫ぶ
その叫びの中にあるのは、まぎれもない友情だ
名作のラストで友情を示すシーンはいくつもある
だが、私にとっては、この場面がベスト
いつ観ても泣いてしまう
それから、この映画にはもう一人の主役の狼がいる
いつもダンバーの近くに、付かず離れずいる狼
その狼の存在が、この映画に不思議な優しさを与えている
ダンバーが去る時、”風になびく髪”同様、狼が山の上で遠吠えをする
それだけで、ダンバーと狼が心を通わせていたことが伝わる
この映画を、今のアメリカの人たちはもう一度見返した方がいい
リーダーを選び間違えたのではないか
そう感じているアメリカ国民がいるなら、なおさらだ
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』が描いているのは、単なる先住民との交流ではない
力を持つ側が、自分たちの正義を疑わなくなった時に、何が失われていくのかという物語でもある
文明を名乗る側が、必ずしも文明的とは限らない
正義を語る側が、必ずしも正しいとは限らない
大きな旗を掲げる者が、必ずしも人間の尊厳を守るとは限らない
そして今また、国家は同じ過ちを繰り返そうとしている
文明を名乗る者が、相手を理解しようとせず、自分たちの価値観だけで世界を塗りつぶそうとする時、人間はどこまで残酷になれるのか
その問いは、今も終わっていない
国家が過ちを犯す時、最初から悪の顔をしているとは限らない
むしろ、正義や秩序や愛国心の顔をして近づいてくる
そしてだからこそ、この映画を見返す意味がある
国も、会社も、組織も同じだと思う
誰をリーダーに選ぶのか
どんな価値観に従うのか
何を守り、何を切り捨てるのか
その選択によって、集団の行き先は大きく変わる
表参道のゴローズに行列をなす人たちも、インディアンジュエリーが好きなら、こういったネイティブアメリカンの歴史に触れられる映画を、一度くらい観てみてもいいのではないか?
そうすればゴローズのアクセサリーにハイブランドの洋服、何百万円もする高級腕時計を合わせなくなるだろう
いや、別に観なくてもいい、他人の勝手やね笑
映画も、音楽も、服も、そういうところでつながっている
表面のかっこよさから入って、いつの間にか遠い歴史や誰かの痛みに触れてしまう
どこに属するか
何を大切にするか
誰と共に生きるか
その答えは、最初から決まっているわけではない
時には、遠く離れた場所で、思いがけない人たちとの出会いの中で、ようやく見つかることもある
そして今日もまた、あの問いが残る
「俺は誰だ。何者だ。」
その問いを持ち続けている限り、人も国家も、まだ引き返せる

