プッシー・ライオットのことを考えていたら
日本の女性パンクバンドについて考えてしまった
日本で女性パンクバンドといえば誰だろう
カムズのチトセは真っ先に思い浮かぶ
ただカムズは女性ボーカルのハードコアバンドであって、女性パンクバンドではない
非常階段にも女性ボーカルはいたが、やはり女性パンクバンドとは違う
ゼルダや少年ナイフは重要な存在だが、パンクではありながら、ニューウェーブやオルタナティブ寄りの位置付けだと思う
最近、往年のハードコアパンクバンドと共演している
「THE LET’S GO’s」も一度ライブで観た
ガレージロックやパンクを標榜しているが、かなりポップな印象
大阪の京橋にあった音楽スクールの同級生で結成された「SCANDAL」
バンド名の由来が同じビルに入っていたピンサロの店名から取った笑
ちょいヤンキーでビジュアルも良かったので、もっとハードで社会派の路線に行けば面白いな、と期待していた
地元から女性パンクバンドが出るかもしれない
しかしビジュアルが良すぎた
結果的にアイドル的なガールズバンドの路線へ行ってしまった
そして日本で女性パンクというと、どうしてもNANAになってしまう
Vivienne Westwood、細身の身体、煙草、孤独、ライブハウス、刹那的な恋愛
本来、Vivienne WestwoodはSex Pistols周辺のかなり挑発的で政治的な文脈から出てきたはずである
それは既成秩序への反抗だった
しかし日本では、それが美学化され、ロマン化され、孤独な女の子のファッションになった
それが悪いわけではないし、日本独自のパンク受容としてとても面白いと思う
ただ、そこで怒りは少し形を変えた
社会へ向かう怒りではなく、自分の内側へ向かう痛みになった
最近の地雷系と呼ばれる女の子たちを見ていると、その延長線を感じることがある
そこには確かに居場所のなさがある
そして、その居場所のなさにつけ込む社会問題がある
ホスト、メン地下アイドル、スカウト
推しのためにお金を使う
認められるためにさらに使う
そのために自分の身体を簡単に換金する
かつてフェミニズムは、女性が自分で選ぶこと、自分の身体を自分のものにすること、男社会から自由になることを求めた
しかし今は、自由を履き違えている
いや
履き違えさせられている
好きな服を着る自由
好きな恋愛をする自由
好きな推しに貢ぐ自由
気がつけば、自由が別の支配装置になっている
フェミニズム勢よ頑張ってくれ
政治や権力に向かうはずの怒りが、自己破壊や依存や過剰消費へと内向きに変換されてしまっている
プッシー・ライオットを見るとその違いがよくわかる
彼女たちの怒りは外へ向かっている
国家、宗教、権力、抑圧
だから危険で、だからパンクなのだ
SCANDALのような影響力のある女性バンドが
「推し活のために女性の尊厳を捨てるのは格好悪いよ」
とメッセージ性を強めたら、もっと抑止になるのではないかと思う
残念ながら、ホストやスカウトを規制したり、歌舞伎町をパトロールしたりしても、糸を引く人間も、本人たちも抜け道を探す
結局イタチごっこになる
もちろん規制や取り締まりはどんどん強化して欲しい
ただ、それだけでは当事者の心は動かない
そこに届くのは、正論ではなく、憧れなのだと思う
影響力のある、素直に憧れられる存在がパンクのエネルギーであるべき姿を示す
それは、彼女たちの更生や立ち直りにつながる可能性がある
憧れの存在が正論を言わないといけない時代なのだ

