2026.06.17

8 1/2

フェリーニの『8 1/2』をベスト映画に挙げる人は多い

この映画は、映画という表現そのものを一段深いところへ連れていった作品
物語を語るのではなく、人間の内面そのものを映画にしてしまった
だから映画好きだけでなく、映画を作る人たちにも特別な作品として扱われるのだろう

『8 1/2』は夢の映画と解釈している
現実、記憶、妄想、願望、それらが整理されないまま同じ濃度で流れていく

夢は矛盾している
場所も時間も人物もつながっていない
死んだ人が普通に出てくるし、子どもの頃の自分と今の自分が同じ場所にいることもある

起きてから考えると明らかにおかしい
しかし夢を見ている最中はその矛盾を矛盾だと感じない

『8 1/2』は、その夢の構造をそのまま映画にしている
筋ではなく、感情でつながっている

主人公グイドの中には、妻や愛人、母も、少年時代の記憶も、宗教的な罪悪感も、映画監督としての虚栄も、才能が枯れることへの恐怖も全部同時に存在している
普通なら整理しなければならないものをフェリーニは整理しない

でもそれが人間の内面としては正しい
人間はそもそも矛盾している

ただ『8 1/2』は難解なだけの映画ではない
出てくる女優やファッション、ロケーションを眺めているだけでも楽しい
どこを切り取っても洒落ている
ストーリーがわからなくても画面を眺めているだけで十分に楽しい
というより、この映画はまず映画の世界に身を任せるものなのだと思う
夢を見る時に、これはどういう意味か?と考えながら見ないのと同じである

それでも夢は、ただのでたらめではないと思う
潜在意識にあるものが別の形で出てきている
夢や妄想は現実逃避と言われることが多い
しかし妄想が精神のバランスを保つ場合もある
現実だけを直視していたら、人は簡単に壊れてしまう
生きているだけで悩みは積み重なっていく
それらを真正面から浴び続ければ心は休まらない

だから人は夢を見て、妄想し、過去に戻る
都合のいい場面を思い浮かべる
もう会えない人と会話する
あり得なかった人生を頭の中だけで生きる

それは逃避かもしれない
でも逃避がすべて悪いわけではない
逃げ場があるから人はまた現実に戻れる

自分も昨年くらいは追い込まれてもがいてた
そこからは脱したと思っているが、今も考えることは多い

ビジネスモデルを変えること、どうやって事業を継続するか?
これから会社をどうしていくのか?
そもそも人生の意味とは何なのか?
そんなことを考える時間が増えた

もともと夢はあまり見ない方だった
しかし最近は、おかしな夢を見ることが多くなった
登場人物も不思議である
人生の中で主役級だった人ではなく
どちらかといえばマイナーな存在だった人が出てくる
短い期間だけ関わった人
もう何十年も思い出していなかった人
なぜ今この人が出てくるのかわからない
意味はないのかもしれない
でも実際に出てきているのだから、まったく何もないとも思えない

普段から、繰り返し、繰り返し、頭の中をよぎる風景もある
どこの風景なのかわからない
昔見た場所なのか
夢で見た場所なのか
本当に行ったことがある場所なのか
それすらわからない
何の瞬間にその風景が出てくるのかもわからない
このままだと死ぬまでわからないのかもしれない
もしかしたら、ある時ふいに理解できるのかもしれない

ああ、あれはあの時の風景だったのか
そう気づく日が来るのかもしれない

夢に意味があるというより、出てきた夢に意味を与えることで自分の現在地が見えるのかもしれない

寝入る前には、できるだけ人生で楽しかったことを考えるようにしている
これは幼少からの習慣である
精神衛生上とても良いと思っている

寝る前に悩む人は、不眠症になっていることが多い印象がある
寝る直前は一日の反省会をする時間ではない
寝室にまで悩みを持ち込むと脳がまだ戦闘中だと判断してしまい休まらない

『8 1/2』のラストシーン
すべての登場人物が輪になって踊る
何かが解決したということではない
むしろ過ち、悩み、課題を全部抱えたまま、それでも人生は続いていくということだと思う

“È una festa la vita! Viviamola insieme!”
「人生は祭りだ、共に生きよう」

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