先日、元Jリーガーで、北朝鮮代表としてもプレーした安英学(アン・ヨンハ)氏とお話しする機会があった
南北分断の歴史、日本の朝鮮学校、国籍の問題など、幅広いテーマについて語り合った
「朝鮮籍」とは、北朝鮮の国籍を意味するものではない
戦後、日本の外国人登録制度において、朝鮮半島にルーツを持つ人々の国籍欄に「朝鮮」と記載されたことに由来する
日本政府は北朝鮮を国家として承認していないため、朝鮮籍は特定の国家の国籍を示すものではない
その後、韓国籍や日本国籍を取得した人も多いが、在日3世である安氏は現在も朝鮮籍のままだという
南と北に分断される前から日本で暮らしてきた一族にとって、どちらか一方を選ぶことは、私たちが考えるほど単純な話ではないのだろう
そこには民族としての誇りや、家族の歴史がある
自分が育った大阪市内東部には、在日コリアンの人が多かった
同じ学校に通い、同じ街で遊び、友人も多くいた
当時は今と比べて生きづらさもあったと思うが、国籍や民族の違いについて、深く考えたことはなかった
ただ、同じ街で暮らしている人たちだった
だから今でも在日コリアンの人と話していると、地元へ帰ったような、幼なじみに会ったような、懐かしさを覚える
映画『パッチギ!』が好きなのも、その影響があると思う
1968年の京都を舞台に、日本人高校生と朝鮮高校の生徒たちとの対立、友情、恋愛を描いた井筒和幸監督の作品
日本人高校生の康介は、朝鮮高校に通うキョンジャに惹かれ、彼女に近づくために「イムジン河」を覚える
最初は、好きな女の子に振り向いてもらいたいという単純な気持ちだった
しかし彼女を知ろうとすればするほど、その向こうにある民族や家族、南北分断の歴史と向き合うことになる
彼女を好きになったから、その背景を知ろうとした
そこがこの映画の素晴らしいところだと思う
歴史や国籍について、最初からすべてを理解することは難しい
それでも、目の前にいる人を知ろうとすることはできる
国家や民族という大きな言葉の前に、一人の人間がいる
『パッチギ!』が描いていたのも、そんな当たり前で難しいことだったのではないか
映画の中で流れる「イムジン河」は、分断された祖国を思う歌であると同時に、人間が作った境界を越えようとする歌にも聞こえる
川そのものには、南も北も国境も無い
大国と南北の指導者が勝手に境界を作っただけである
安氏のお話を聞きながら、久しぶりに『パッチギ!』を観たくなり、観始めると、また最後まで観てしまった
何度観ても新しい発見がある
この映画には、後に日本映画やテレビを支えることになる若い俳優たちが数多く出演している
塩谷瞬、沢尻エリカ、高岡蒼佑、小出恵介、真木よう子、桐谷健太、江口のりこ、波岡一喜
今から見ればオールスター映画だが、当時の彼らはまだスターではなかった
その後、誰もが順風満帆な人生を歩んだわけではない
色々なスキャンダルもあった
それでも、井筒監督の厳しい演出によって画面に刻まれた演技は本物だったと思う
関東出身の俳優も含め、誰一人として関西弁のイントネーションに違和感がない
当時、自分が予備知識のなかった沢尻エリカも、本当に関西の在日コリアンの少女を起用したのだと思って観ていたほどである
スターを集めたのではない
井筒監督が見つけ、鍛えた若者たちが、その後それぞれの場所で名を知られるようになった
まさに井筒組である
自分にとって『パッチギ!』は、隣国の政治問題を描いた作品ではない
自分が育った街にも確かにあった、隣り合って暮らしながら、近いようで遠かった人たちの物語なのである

