今年のフジロックの最終日
強く印象に残ったステージの一つがニーキャップだった
ニーキャップは、北アイルランドのベルファストから現れた3人組のヒップホップグループ
アイルランド語と英語を混ぜ、政治、ドラッグ、警察、そしてパレスチナについて、挑発的な言葉を投げつける
音楽はヒップホップにテクノやレイヴの要素を取り入れ、激しく、猥雑で、踊れる
言葉の意味がすべてわからなくても、彼らが何に怒り、何を守ろうとしているのかは伝わってくる
2024年には、彼らの結成から成功までを描いた半自伝的映画『KNEECAP/ニーキャップ』が公開された
メンバー3人が本人役を演じ、マイケル・ファスベンダーも出演している
北アイルランドは現在もイギリスを構成する地域であり、長くカトリック系住民とプロテスタント系住民の対立が続いてきた
1960年代後半から1998年のベルファスト合意まで続いた北アイルランド紛争では、多くの人が命を落とした
ニーキャップは、その紛争が終結した後に育った世代である
銃を持って戦った世代ではない
彼らが武器にしたのは、音楽と言葉だった
映画の中に、こんなセリフがある
「アイルランド語で話される一語一語が、抑圧者に向けて放たれる弾丸なんだ」
もちろん、実際の暴力を肯定しているわけではない
支配する側は、土地や政治だけでなく、言葉を奪おうとする
自分たちの言葉を失えば、歴史を語る言葉も、怒りを表す言葉も、自分たちが何者であるかを説明する言葉も失ってしまう
だから、奪われかけた言葉を使うこと自体が抵抗になる
ニーキャップは、「言葉にはものすごく大きな意味と影響力がある」と語っている
彼らがアイルランド語にこだわる理由は、そこにある
自分は大阪で生まれ育ち、東京で仕事をするようになった
大阪でしか通用しなかった言葉を、東京でも理解される言葉へ変換してきた
ビジネスでは、相手に伝わる言葉を選ばなければならない
しかし、標準語に置き換えることで失われるものもある
意味は同じでも、距離感や温度、笑いや怒りまで同じようには伝わらない
もちろん、日本の方言と、長い支配の歴史の中で奪われかけたアイルランド語を同列に語ることはできない
それでも言葉が単なる情報伝達の手段ではないということはわかる
その人がどこで生まれ、何を見て、どのように生きてきたのか
言葉には、その人や民族の歴史が刻まれている
ニーキャップの音楽は、決して上品ではない
ドラッグやセックスを歌い、政治家や警察を挑発する
しかし、言葉を文化財のように保存するだけでは、その言葉は生き残れない
若者がその言葉で笑い、恋をし、悪態をつき、権力に怒りをぶつけてこそ、生きた言葉になる
ニーキャップは、アイルランド語を博物館からストリートへ連れ戻した
昨日、ザ・ポーグスについて書いた
ザ・ポーグスが、祖国を離れたアイルランド人の哀しみを酒場の音楽に変えたとすれば、ニーキャップは、今も北アイルランドに残る分断と怒りを、ヒップホップとダンスミュージックに変えている
時代が変わり、音楽の形が変わっても、そこに流れている精神は同じなのかもしれない
哀しみや怒りに押し潰されるのではなく、それを笑いと音楽に変え、歌い、踊る
ニーキャップが放つ弾丸は、奪われかけた自分たちの歴史と尊厳を取り戻すための言葉である
今週もお疲れ様でした。
良い週末を!

