クリント・イーストウッドは1930年生まれ
今年96歳になった
17年前に亡くなった父親と同い年である
映画好きだった父親は、クリント・イーストウッドのマカロニ・ウエスタンや『ダーティハリー』が好きだった
目が細く、あまり多くを語らない
クリント・イーストウッドに父親を感じる時がある
だから今でもクリント・イーストウッドの姿を観ていると、父親を思い出す
若い頃のイーストウッドは、強い男の象徴だった
しかし年齢を重ねてから、彼が監督し、演じてきたのは、単純な強さではなくなった
老い、後悔、孤独、贖罪
人生の終わりに近づいた人間が、それでも誰かのために何ができるのか
クリント・イーストウッドは、自分が年を取ることを隠さず、その老いを映画にしてきた
中でも好きなのが『ミリオンダラー・ベイビー』
イーストウッド演じる老トレーナーのフランキーは、ボクサーを目指す女性マギーを最初は相手にしない
しかし、行き場のない二人は、ボクシングを通じて少しずつ心を通わせていく
フランキーには、長い間会うことのできない娘がいる
マギーにもまた、家族と呼べる居場所がない
二人はトレーナーとボクサーでありながら、いつしか父親と娘のようになっていく
マギーのガウンには「MO CUISHLE(モ・クシュラ)」と書かれていた
マギー自身もその意味を知らない
物語の最後に、フランキーがその意味を伝える
「私の愛しい人」
「私の血」
アイルランド語で、直訳すれば「私の鼓動」という意味もあるという
愛しているとは、一度も言わない
娘だとも言わない
それでも、その一言に、フランキーがマギーに抱いていたすべての思いが込められていた
父親というものは、そんなものなのかもしれない
生きている間は、何を考えているのかわからない
こちらも素直にはなれない
伝えなかったことも、聞けなかったことも残る
父親が亡くなって17年になる
父親はもう年を取らないが、クリント・イーストウッドは今も年を重ねている
だから自分は、この人の映画を最後まで見届けたいと思っている
モ・クシュラ
なぜか琴線に触れる言葉である
意味を知らなくても、その響きが心に残る
意味を知れば、さらに忘れられなくなる
いつかこの言葉を使って、何か形にしてみたいと思っている
まだ何を作るかは言えないが

