2001年9月11日のアメリカ同時多発テロから、今日で25年になる
12年前の2014年9月11日もあの日のことをブログに書いていた
以下は、その時の文章である
2001年9月11日夜
私は出張先の鹿児島にいました
九州新幹線が走っていない当時、夕方に博多で会議が終わってから鹿児島本線に乗り、鹿児島に着いたのが夜10時
スマホもSNSもない時代、リアルタイムで世の中で何が起こっているのかわからず、小腹が空いて何気なく入ったうどん屋のテレビで、1機目のアタックを受けて煙が出ているワールドトレードセンタービルの映像が目に飛び込んできました
「飛行機事故かな?」
まず、そう思いました
そして、ほどなく2機目のアタックを観て、とんでもないことが起きているのを理解しました
人間、家から遠く離れた場所で衝撃的な出来事に出くわすと、急に心細くなるもので、うどん屋の大将やほかの客と、今起きていることについて語りたくてキョロキョロしていましたが、誰も目を合わせてくれず笑
一人でホテルに帰り、特別番組の続きを観ていると、
「ペンタゴンにも航空機が突入」
「なおも十数機が行方不明」
という速報が流れました
「世界が終わった」
「第三次世界大戦が始まるのか?」
本気でそう思いました
結局、そうはなりませんでしたが、この日を境に、アメリカとイスラム勢力の対立が激化し、今日に至ります
無間地獄は、いつまで続くのか?
すべてのテロによる犠牲者に哀悼の意を捧げるとともに、世界平和の実現をお祈りいたします
あれから、さらに12年が経った
結局、あの日に世界が終わることはなかった
しかし、あの日から明確に世界は変わった
空港の警備は厳しくなり、街には監視カメラが増えた
イスラムへの偏見が広がり、「テロとの戦い」という終わりの見えない戦争が始まった
この日のテロによって、約3,000人の命が奪われた
そしてアメリカは、アフガニスタン、さらにイラクへ向かった
テロへの怒りは、報復の戦争へと変わった
その戦争によって、また数え切れないほどの人が命を失った
犠牲になったのは、テロリストや兵士だけではない
その国で普通に暮らしていた市民や子どもたちも含まれている
世界は、テロを起こす側と、それを殲滅しようとする側に分けられた
そして、どちらにも属さない普通の人々が、その間で命を奪われ続けた
一つの暴力が次の暴力を生み、その暴力がまた新しい憎しみを生む
25年前、鹿児島のホテルで感じた「世界が終わる」という恐怖は、形を変えながら現在まで続いている
NEVER FORGET
9.11で犠牲になった人々への哀悼、救助に命を懸けたファーストレスポンダーへの敬意、そしてテロの悲劇を二度と繰り返さないという強い決意を表しているスローガン
忘れてはいけない
しかし、忘れてはいけないのは、自分たちが何をされたかだけではない
悲しみと怒りの中で、自分たちが何をしてしまったのか
その結果、遠い国で誰が犠牲になったのか
そこまで記憶して、初めて歴史から学んだことになる
テロにも、戦争にも、それぞれの正義が掲げられる
しかし、どんな正義を掲げても、奪われた命は戻らない
あの日、ニューヨークで亡くなった人たちに
そして、その後の戦争とテロによって亡くなったすべての人たちにあらためて哀悼の意を捧げたい
今週もお疲れ様でした。
良い週末を!

