2026.09.14

オデュッセイア

週末に、クリストファー・ノーラン監督の『オデュッセイア』を観た
もちろんIMAXシアターで
※以下、物語の結末に触れています
上映が終わった時、歴史的作品を観たと確信した
この先も長く観続けられ、語り継がれていく映画になるだろう
ベン・ハー』や『十戒』に匹敵する作品だと思う
ノーラン監督は、これで引退するのではないか?
そう思ってしまうほど、これまでの作品で描いてきた思想の集大成だった

映画の冒頭、宴の席で叙事詩を歌う吟遊詩人を演じているのは、ラッパーのトラヴィス・スコット
エンドロールでも、主演のマット・デイモンより先に、その名前がクレジットされていた
出演者は登場順に記載されているようだが、それでも象徴的に感じた
物語の主人公であるオデュッセウスよりも、その物語を歌い継ぐ吟遊詩人の名前が先に現れる
英雄はいずれ死ぬ
国の形は変わり、文明も滅びる
しかし、その栄光や過ちを歌う者がいれば、物語は残る

トラヴィス・スコットは『TENET』に続き、今回もエンディングテーマを担当している
ノーラン監督のお気に入りなのだろう
しかし、単なる話題性のあるキャスティングではない
文字も映像もなかった時代、人々は吟遊詩人の歌を聴き、英雄の栄光や戦争の悲惨さを記憶し、次の世代へ伝えた
2800年前の吟遊詩人が、現代のラッパーなのである
映画は古代の吟遊詩人としてのトラヴィス・スコットの歌で始まり、現代のラッパーとして歌う「When I’m Home」で終わる
ノーラン監督は、この映画そのものを現代の叙事詩として後世へ残そうとしたのではないか

この映画は、人類の騙し討ちがトロイの木馬から始まったと示唆している
それ以前の戦争が本当に正々堂々としていたのかはわからない
しかし、ゼウスの掟が支配する物語の中では、敵同士であっても名乗り、真正面から武器を持って討ち合う
殺し合いには違いないが、戦争にも守るべき秩序があった
ところがトロイの木馬は、その秩序を根底から覆した
贈り物を装って敵を欺き、城内へ入り込み、相手が眠っている間に城門を開く
人類は腕力ではなく、知性によって戦争に勝った
同時に、
「勝つためなら相手を騙してもよい」
という扉を開いた
一度誰かがその扉を開けば、相手も同じ手段を使う
相手がそこまでやるのなら、こちらもやらなければ負ける
そうして、例外だったはずの禁じ手が、次の時代には当たり前の戦略になる
現在では、国家は謀略を巡らせ、企業は互いに出し抜こうとし、個人の間でも詐欺が横行している
この負の連鎖は、2800年前から脈々と続いているのである

ノーラン監督がこれまで描いてきた主人公たちも、同じ苦悩を抱えていた
オッペンハイマー』では、ナチスより先に原子爆弾を完成させるという大義のため、科学者たちが人類を滅亡させる力を生み出した
アメリカが作ればソ連も作り、さらに別の国も持とうとする
誰も核戦争を望んでいなくても、誰も先に降りることができない

ダークナイト』のブルース・ウェインは、ゴッサムを守るために法の外側で暴力や監視を用い、自分の存在がさらに大きな悪を呼び込んでいるのではないかと苦悩する

インセプション』では、人間の潜在意識へ入り、思考を植えつける技術が生まれる
人の心まで支配できるようになっても幸福にはつながらず、愛する者を失い、自分自身も現実へ帰れなくなる

TENET』の逆行装置も同じである
人類を救うために生み出された知性が、時間そのものを兵器に変え、現在と未来を破壊する可能性を持つ

ノーラン監督は一貫して、
人間は知性によって世界を救うことができる
しかし、その知性こそが世界を破壊するかもしれない
という矛盾を描いてきた

そして今、人類はAIを生み出した
AIは生活を豊かにし、多くの労働から人間を解放する可能性を持つ一方、人類最大の脅威にもなり得る
やがてAIが人間のガバナンスを離れ、インターネットや社会インフラを支配する日が来ると予測する技術者もいる

しかし、本当に恐ろしいのは、AIが突然、人類に反乱を起こすことだけではない
国家が他国に勝つために使い、企業が競合を出し抜くために使い、個人が他人を騙すために使う
相手が使うなら、こちらも使わざるを得ない
ここでも、トロイの木馬から続く連鎖が繰り返される
誰も破滅を望んでいないのに、誰も先に降りられない

ノーラン監督自身、スマートフォンを持たず、Eメールも使わないという
創作に必要な集中力を、絶え間なく届く情報や通知に奪われないためである
現代で最も大きな予算を動かし、最先端の映像表現を生み出す監督が、日常では最新の通信技術から距離を置いている
テクノロジーを否定しているわけではない
映画を創るためには最新技術を徹底して使うが、自分の思考まで委ねることはしない
道具を使うことと、道具に支配されることは違うのである

これからはAIも、仕事や創作に欠かせないものになっていくだろう
しかし、便利な道具を手に入れるたびに、人間自身が考える時間を失ってはいないだろうか
時には道具を手放し、自分の内側から聞こえる声に耳を澄ませることも必要なのではないか

『オデュッセイア』は、人類への絶望だけで終わらない
オデュッセウスは知性によって戦争に勝ったが、その知性では故郷へ帰ることができなかった
策略を重ねるほど故郷から遠ざかり、自分の力で運命を変えようとするほど仲間を失っていく
最後に彼が帰還できたのは、さらに優れた策を思いついたからではない
策を手放したからである
神の声、天の声に従い、自分の傲慢さを認める
人も世界も支配しようとせず、筏に乗り、海と風に身を任せる
それは敗北ではない
自分は万能ではないと、初めて受け入れた瞬間だった
トロイで勝利した方法は、家へ帰るためには役に立たなかった
故郷へ帰るには、英雄であることをやめ、一人の弱い人間に戻らなければならなかったのである

人類もまた、同じ場所に立っている
人類は知性によって神の領域へ近づいた
しかし、生き残るために必要なのは、さらに神へ近づくことではない
自分たちは神ではないと思い出すことではないか

そしてオデュッセウスは、故郷へ帰り、王位を取り戻し、妻ペネロペと再会しても、勝者として安住しなかった
自分のために死んだ者たちを弔うため、ペネロペと再び海へ出る
弔ったからといって、死者が生き返るわけでも、犯した罪が消えるわけでもない
それでも犠牲者を忘れず、自らの決断によって死んだ者たちを哀悼する
罪を背負った人間にできる、せめてもの償いである
戦争を始めた指導者は、大義のためには犠牲もやむを得ないと言う
しかし、その決断によって死ぬのは、決断した本人ではない
名前も顔もある兵士であり、市井の人々であり、その帰りを待っていた家族である

ノーラン監督は、現代の指導者たちに問いかけているのではないか
あなたは勝利を語る前に、自分の決断によって死んだ一人ひとりを弔うことができるのか
犠牲者を数字として処理せず、その死を背負い続けることができるのか
人間は過ちを犯す
しかし、犠牲を当然のものとして開き直った瞬間、人間ではなくなる
ノーラン監督ほど、現代で映画製作のために巨額の予算を集められる監督はいないだろう
その予算と知性、発想、構想を使い、人類の傲慢さと自省を描く圧倒的なエンターテインメントを創造した

ここ数年、世界が間違った方向へ進んでいると感じるニュースがあまりにも多い
戦争、分断、排外主義、権力者の開き直り
その中で、この映画は人類が抱える問題の根源に切り込んだ
正論を突きつけられれば、人は反論する
思想が違えば、聞く前に拒絶する
しかし映画館では、国籍や思想の異なる人々が同じ主人公の苦悩を見つめる
楽しむために劇場へ行き、気がつけば人類の罪と、自分自身の生き方を考えさせられている

エンターテインメントの力を侮ってはいけない
時に政治や思想よりも深く、人間の心を動かすことがある
『オデュッセイア』は、2800年前の物語を映像化しただけの歴史大作ではない
人類がどこで道を間違え、これからどこへ帰るべきかを描いた映画である

AIという新たなトロイの木馬を世に放とうとしている今、この映画が公開されたことには意味がある
映画史の節目であると同時に、人類が自らの知性と向き合うべき時代の節目に現れた作品
『オデュッセイア』の公開は、エポックメイキングな出来事なのである
人類は何度も間違える
それでも、その過ちを物語にして語り継ぎ、次の時代へ警告を残す人が現れる
世界はまだ期待できる

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