2026.09.17

立派な親

2002年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

レオナルド・ディカプリオが演じるフランク・アバグネイルは、パイロットや医師、弁護士になりすまし、偽造小切手によって大金を手に入れる
巧みな話術と大胆な行動で人を信用させ、まだ10代でありながら、世界各地で詐欺を繰り返していく
華麗な犯罪映画のように見えるが、この映画の根底にあるのは、壊れてしまった家庭と父親への思いである

フランクが欲しかったのは、金だけではなかった
事業に失敗した父親に、もう一度自信を取り戻してほしい
離婚した両親に、もう一度一緒に暮らしてほしい
そして何より、父親に認めてほしかった
制服を着て、肩書を手に入れ、大金を稼げば、失った家族を取り戻せると思っていた

映画のモデルとなったフランク・W・アバグネイルは後年、「良い夫、良い父親であることほど、自分の人生に平穏と満足をもたらしたものはない」という趣旨の言葉を残している
口先だけで人を信用させ、金も立場も手に入れた男が、最後にたどり着いたのが「良い父親になること」だった
だからこそ、その言葉には重みがある

では、立派な親とは、どのような親だろう
子どもに高価な物を買い与える親でも、子どもの進む道をすべて決める親でもない

真面目に働く姿を見せる
家族との時間を大切にする
約束を守る
人として間違った発言や行動をした時には、きちんと正す
嫌われることを恐れず、愛情を持って叱る

そういう親ではないだろうか

最近、子どもたちの憧れる職業や人物が変わり始めている

整形してキャバ嬢として売れ、大金を稼ぐ
ホストとして、夜の世界で働く女性の稼ぎを吸い上げる
過去の犯罪歴を誇示し、注目を集め、インフルエンサーになる

まともな親や教師が、子どもにそんな生き方を指南するだろうか

もちろん、しない

しかし大人が口で指南しなくても、そのような人を有名にし、成功者として扱い、大金を稼がせれば、子どもにとっては指南したのと同じである
子どもは、大人が口で教えることより、大人が誰に金と拍手を与えているかを見ている

こういう話を飲みの席ですると、友人は言う

「放っておけ。あいつらはいずれ自滅する」

私たち大人が、その世界に近づかず、そのエコシステムに金を落とさなければ、確かにそれでよいのかもしれない
しかし、小学生までがキャバ嬢やホスト、犯罪歴を誇示する人たちに憧れ始めていると聞けば、放ってはおけない

彼らは自滅するかもしれない
しかし、自滅するまでに撒かれた価値観は残る
今の子どもたちは、いずれ働き、家庭を持ち、次の世代を育て、日本を支える人になる
子どもたちが何を格好いいと思うかは、本人だけの問題ではない
それは、未来の社会をどのような場所にするかという、私たち大人の問題である

ネットコンテンツや、子どものスマートフォン利用に規制をかけることも、必要なのかもしれない
しかし、画面から悪い大人を消すだけでは解決しない
規制を設けても、抜け道はいくらでも出てくる
規制だけに解決を委ねても、何も変わらない
大人が真剣に「虚像に惑わされるな」と伝えなければならない
そして、それを言葉だけで終わらせてはいけない

それ以上に必要なのは、子どもたちが身近な大人を格好いいと思える社会をつくることである
家族のために毎日働く親
一人ひとりの可能性を信じて教室に立つ教師
悪いことをすれば、他人の子どもであっても叱る近所の大人

以前の社会には、そんな大人がもっといた
もちろん、昔の大人がすべて立派だったわけではない
しかし、他人の子どもであっても、間違った道へ進みそうになれば、愛情を持って叱る大人がいた

叱ることは、支配することではない
「お前には、そんな人間になってほしくない」
という意思表示だった

学校の教師も同じである
勉強を教えるだけが、教師の仕事ではない

真面目に働くこと
人を傷つけないこと
間違った時には謝ること
自分より弱い人を守ること

教師が自らの生き方で示すからこそ、子どもは「自分も、こんな大人になりたい」と思う
悪い大人を見せないことより、格好いい大人を身近に見せることの方が、ずっと大切なのだ

子どもが将来なりたいと思う大人は、本来、スマートフォンの中ではなく、家庭や教室や近所にいるべきである
立派な親になることは、派手ではない
誰かから称賛されることも少ない

それでも、次の時代をつくるという意味では、これほど大きな仕事はない

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